魯迅先生 使った井戸 どこですか?@仙台(2)
もう一つの井戸
前回、魯迅先生が仙台に留学していた時に使っていた井戸を探し始め、「魯迅故居跡」にその井戸があることを見つけたところです。
しかし、その後にネットで見つけた以下のページによると、魯迅先生がそこに住んだのは数ヶ月のことで、その後は別の下宿に移ったとあります。
その下宿先は、
「仙台市土樋1の4の16」
「現在は、当時の井戸が残されているだけ」
という「太宰治 文学アルバム」(長篠康一郎)からの情報も掲載されていました。(仙台市泉図書館にて本でも情報を確認済)
つまり、魯迅先生が使っていた井戸はもう一つある、ということです。
住所の場所は
魯迅先生が住んでいたという「仙台市土樋1の4の16」がどこなのかを知るために、地図を検索してみます。
「土樋」という地区は、仙台市の青葉区と若林区にまたがっていて、1丁目4番地に該当する場所があるのは青葉区の方です(愛宕上杉通りを境に、海側が若林区で、山側が青葉区)。
そして、以下の「東北学院大学 土樋キャンパス」の南西側の一角が4番地のようです。
そこからさらに、4番地の「16」にあたる場所を探すために、地図を拡大していったのですが、残念ながら「16」の記載がありません。
ネットには細かい所まで載っていないのかと思い、その4番地の住所を歩きにいきました。
一軒一軒の青い住所プレートを確認したものの、10・12・17・20だけで、「16」の建物、そして井戸は見つけられません。
昔の地図
その井戸があったという「仙台市土樋1の4の16」の住所は、上記の本の出版年1982年当時の事なので、今は該当の場所がないのかもしれません。
そこで、昔の地図に当たってみるために、仙台市図書館のHPで地図を検索してみると、当時の地図が置いてあるようです。
地図は禁貸出のため、図書館に来ましたが、更に地図は書架ではなくカウンターで申請して、目の前の机での閲覧なんですね。
目的の年代の地図も出して貰いましたが、この2番目の「最新番地入仙臺市明細地図」も気になって出してもらいました。
(写真が撮れないので、状態がお見せできなくて残念)
これは、1918年の地図なんですが、写しではなくてなんと!原本でした。
B4版サイズの紙が手帳サイズに折り畳まれていて、注意して広げないと千切れてしまいそうです。
実際、折り目の周辺は裏が見える状態になっていました。:(;゙゚'ω゚'):
仙台市の街中が手書きで描かれており、裏面には当時の建物の写真が印刷されています。
大変貴重なものですね。
本題に戻って、1970年代からのゼンリン住宅地図を開いて確認してみます。
すると、現在の仙台市青葉区1丁目4番地「17」の位置に、細長い家が2棟横に並んでいて、5番地との間の道路に面している方が「16」と記載されています。
誰の家なのかの名字も記載されていますが、その建物は「空」として空き家になっていたようです。
今の現地の姿
さて、昔の地図で場所がわかったので、もう一度現在の「仙台市青葉区土樋1丁目4番地」に戻って確認します。
現在のこの場所には、写真の「第二米ケ袋シティハウス」という5階建てのマンション(仙台市青葉区土樋1-4-17、築年:1982年)が建っています。
この角から右に向かう道に面している場所が、昔の「16」の該当箇所なので、現在は井戸は残っていません。
そして実はここ、井戸を探していた人に話しかけられた場所なんです。
正確には、この写真の左奥に見えるマンション手前の、坂になってる辺りで話しかけられました。
どうやらその方が探していたのは、2つ目の下宿の井戸であって、探していた場所は間違いなかったんですね。
もしも次、尋ねられる機会があったら、教えてあげられるはず・・・そんな機会はもう無い気がしますが。。
魯迅先生の仙台での資料
調査は終わりましたが、せっかくなので、魯迅先生の資料の紹介などを。
仙台市の図書館だと、泉図書館の郷土資料のコーナーに魯迅先生の関連の書籍が幾らかあります。
その中の「魯迅の仙台時代―魯迅の日本留学の研究(阿部兼也)」という資料には、魯迅先生の仙台における生活が詳しく記載されています。
この本の311ページによると、
最初の下宿屋が「佐藤屋」、次の下宿屋は「大泉氏」の別邸を借り受けて下宿を開いていた「宮川宅」、だったそうです。
「住所は土樋158番地だが、あちこちにわき水があって、この辺り一帯は別名鹿子清水坂とも呼ばれていた。」
とあり、今でもタクシーでこの辺に行くときは、学院の裏とか、お寺の近くなどより、「鹿子清水(かのこしみず)」の方が地名として通じます。
ただ残念ながら、現在わき水は無いようです。
もしも、魯迅先生の軌跡をたどりに現地を訪れた際には、写真の地名にでも、当時の面影を感じて貰えれば幸いです。