あどけないこと

~日常の楽しみ方を探して~

船から見る海もきれい@松島湾

浦戸諸島

先月、散歩で塩釜に出かけた際に、浦戸諸島という離島に行く船が出ていることを知りました。

「離島」という響き、なんだかとても遠くに行くようで素敵ですね。

漂流、洞窟、メルクル、未知なる果物、不思議の島のフローネです。

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浦戸諸島」へは、「仙台駅」から仙石線で「本塩釜駅」まで約30分。

そこから10分ほど歩き、「マリンゲート塩釜」という旅客ターミナルから汽船に乗って、一番近い「桂島」までは20分になります。

浦戸諸島がどんな所かは、以下のページから。

宮城県松島湾にある「浦戸諸島(うらとしょとう)」。桂島(かつらしま)、野々島(ののしま)、寒風沢島(さぶさわじま)、朴島(ほうじま)の有人島と、馬放島、大森島など多くの無人島からなり、波によって侵食された奇岩と松林で構成された見事な景観が広がっています。のどかな集落があり、歴史と豊かな自然に培われてきた人々の暮らしが息づいています。

汽船に乗る

「マリンゲート塩釜」から「浦戸諸島」に行く汽船は、本数が多くないので、事前にスケジュールを決めておいたほうが良いです。

今回は、11:00塩竈発で、14:54に塩竈戻りを目標にしました。

浦戸諸島の島の間は、無料の渡し船があるので、まずは「桂島」までの片道切符を購入。

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浦戸諸島 - 塩竈市ホームページ

船に乗るの、実は25年ぶりなんです。

前に船に乗ったのは、高校の修学旅行。

「高校の修学旅行どこだった?」と聞かれて、「沖縄」と答えると羨ましがられるのですが、船でだったんですよ。

船で沖縄に行って帰ってくるという変わったプランで、沖縄での滞在は1泊のみ、他は船の上に片道3日ずつでした。

初めて船酔いを味わったせいか、沖縄での記憶、あんまりないです。

その時は、とても大きなクルーズ船でしたが、今回の船は90人乗り。

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ウイング?付きで速そうです。

海がキレイ

海って憧れます。

僕が生まれたのは、山に囲まれた福島の盆地の真ん中。

そして、実家の埼玉は、「海に憧れすぎて千葉の海からトンネルを掘ってる」(「翔んで埼玉」による)という程ですから。

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汽船が走り始めると、横に、後ろに、波が白い花を描いて広がっていきます。

窓からでも、海が太陽の光を受けてキラキラと光り輝いてるのが見えます。

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光の加減で暗くなってしまいましたが、巡視船を始めてみました。

宮城海上保安部 巡視船「くりこま」。カッコいい。

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そしてご当地ならではの、牡蠣の養殖場、かと思っていたのですが、牡蠣は筏の下に吊るすのが主流のようで、竿が連なるのは海苔の養殖場の風景だそうです。

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釣りの船もたくさん見かけました。

汽船が通ると波で結構揺れていましたが、怖くないのでしょうか。

以前、クルーズ船に載ったときには、遥か下の濃い海を眺めるか、地平線の向こうを眺めるかでしたが、小さい船だと、海面が近いので見ていて楽しいですね。

何処かに行くのでなくても、天気の良い日、ただ海の上を走る汽船に乗るだけで、楽しめると思います。
次回は、離島を探検します。

【あどけないこと】
  • 宮城県松島湾には、浦戸諸島という離島があって、マリンゲート塩釜から汽船が出ている。
  • 晴れた日には、ただ船に乗って海を眺めるだけで楽しめる。

 

魯迅先生 使った井戸 どこですか?@仙台(2)

もう一つの井戸

前回、魯迅先生が仙台に留学していた時に使っていた井戸を探し始め、「魯迅故居跡」にその井戸があることを見つけたところです。

しかし、その後にネットで見つけた以下のページによると、魯迅先生がそこに住んだのは数ヶ月のことで、その後は別の下宿に移ったとあります。

その下宿先は、
仙台市土樋1の4の16」
「現在は、当時の井戸が残されているだけ」
という「太宰治 文学アルバム」(長篠康一郎)からの情報も掲載されていました。(仙台市泉図書館にて本でも情報を確認済)

つまり、魯迅先生が使っていた井戸はもう一つある、ということです。

住所の場所は

魯迅先生が住んでいたという仙台市土樋1の4の16」がどこなのかを知るために、地図を検索してみます。

「土樋」という地区は、仙台市青葉区若林区にまたがっていて、1丁目4番地に該当する場所があるのは青葉区の方です(愛宕上杉通りを境に、海側が若林区で、山側が青葉区)。

そして、以下の東北学院大学 土樋キャンパス」の南西側の一角が4番地のようです。

そこからさらに、4番地の「16」にあたる場所を探すために、地図を拡大していったのですが、残念ながら「16」の記載がありません。

ネットには細かい所まで載っていないのかと思い、その4番地の住所を歩きにいきました。

一軒一軒の青い住所プレートを確認したものの、10・12・17・20だけで、「16」の建物、そして井戸は見つけられません

昔の地図

その井戸があったという「仙台市土樋1の4の16」の住所は、上記の本の出版年1982年当時の事なので、今は該当の場所がないのかもしれません。

そこで、昔の地図に当たってみるために、仙台市図書館のHPで地図を検索してみると、当時の地図が置いてあるようです。

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地図は禁貸出のため、図書館に来ましたが、更に地図は書架ではなくカウンターで申請して、目の前の机での閲覧なんですね。

目的の年代の地図も出して貰いましたが、この2番目の「最新番地入仙臺市明細地図」も気になって出してもらいました。
(写真が撮れないので、状態がお見せできなくて残念)

これは、1918年の地図なんですが、写しではなくてなんと!原本でした。

B4版サイズの紙が手帳サイズに折り畳まれていて、注意して広げないと千切れてしまいそうです。

実際、折り目の周辺は裏が見える状態になっていました。:(;゙゚'ω゚'):

仙台市の街中が手書きで描かれており、裏面には当時の建物の写真が印刷されています。

大変貴重なものですね。

本題に戻って、1970年代からのゼンリン住宅地図を開いて確認してみます。

すると、現在の仙台市青葉区1丁目4番地「17」の位置に、細長い家が2棟横に並んでいて、5番地との間の道路に面している方が「16」と記載されています。

誰の家なのかの名字も記載されていますが、その建物は「空」として空き家になっていたようです。

今の現地の姿

さて、昔の地図で場所がわかったので、もう一度現在の「仙台市青葉区土樋1丁目4番地」に戻って確認します。

現在のこの場所には、写真の「第二米ケ袋シティハウス」という5階建てのマンション仙台市青葉区土樋1-4-17、築年:1982年)が建っています。

この角から右に向かう道に面している場所が、昔の「16」の該当箇所なので、現在は井戸は残っていません

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そして実はここ、井戸を探していた人に話しかけられた場所なんです。

正確には、この写真の左奥に見えるマンション手前の、坂になってる辺りで話しかけられました。

どうやらその方が探していたのは、2つ目の下宿の井戸であって、探していた場所は間違いなかったんですね。

もしも次、尋ねられる機会があったら、教えてあげられるはず・・・そんな機会はもう無い気がしますが。。

魯迅先生の仙台での資料

調査は終わりましたが、せっかくなので、魯迅先生の資料の紹介などを。

仙台市の図書館だと、泉図書館の郷土資料のコーナーに魯迅先生の関連の書籍が幾らかあります。

その中の「魯迅の仙台時代―魯迅の日本留学の研究(阿部兼也)」という資料には、魯迅先生の仙台における生活が詳しく記載されています。

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この本の311ページによると、
最初の下宿屋が「佐藤屋」、次の下宿屋は「大泉氏」の別邸を借り受けて下宿を開いていた「宮川宅」、だったそうです。

住所は土樋158番地だが、あちこちにわき水があって、この辺り一帯は別名鹿子清水坂とも呼ばれていた。

とあり、今でもタクシーでこの辺に行くときは、学院の裏とか、お寺の近くなどより、「鹿子清水(かのこしみず)」の方が地名として通じます。

ただ残念ながら、現在わき水は無いようです。

もしも、魯迅先生の軌跡をたどりに現地を訪れた際には、写真の地名にでも、当時の面影を感じて貰えれば幸いです。

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【あどけないこと】
  • 魯迅先生が仙台で過ごした下宿は2か所ある。
  • 1か所目は、「魯迅故居跡」(仙台市青葉区米ケ袋1丁目1-11)」にかつてあった「佐藤屋」。
  • 2か所目は、「第二米ケ袋シティハウス」(仙台市青葉区土樋1丁目4-17)にかつてあった「宮川宅」(当時は、土樋158)。
  • 2か所目について、1980年頃は井戸のみ残っていたが、現在は何も残っていない。